贋作の疑い


仕事帰りのことだ。

駅のホームを改札のほうに歩いていたら、
反対側からヨレヨレのコートに身を包んだおじさんが向かってきた。

その人物はフラフラッと寄って来て私の顔をのぞき込み、
数秒静止すると実にキッパリこう言った。


「ニセモノッ!」



初対面である。


それを偽者とはどういうことだ。

すれ違いざまに悪態をつくにしても何かほかにあるだろう。出し抜けに……。
だいたいアンタこそ誰なんだ。

頭の中に反駁の断片が次々に湧きはするものの、どうも落ち着かない。
気になるのは判断の前に置かれた空白の数秒間である。
私を正面に見据えたその間、いかなる検証がなされていたのであろうか。


偽者。


……そういわれてみれば、思い当たる節がないでもない。


例えば間違い電話だ。このところだいぶ減ったが、
ひどいときなど一週間に数回、二三人が私とは別の人間を呼び求めるのである。


コシカワさん。


それが彼らの求める人物だ。朝起きると留守電に女性の明らかに営業用の調子で

「コシカワ様、駐車場のお車を移動させてもよろしいでしょうか」

と吹き込まれていたりする。


……知らないよお車なんて。
この録音をどうしたらいいものか、寝起きの頭で茫然としたものだった。

部下に難儀したこともあった。
コシカワ氏はどこかの会社の経営者をしているようで、
あるとき20代とおぼしき男性が社長を頼って何度も何度も電話をかけてきた。

その日はなにやらトラブルに巻き込まれたようで、一刻も早く社長の判断を仰ぎたいらしい。

こちらが人違いだと伝えても、若い彼は意中の人物でないことがどうしても飲み込めなかったようだ。

何を思ったか、今切ったばかりの電話番号にリダイアルで再びかけてきた。

動揺を抑え切れない声で彼は言う。

「コシカワ社長……ですよね?」

しかし同じ番号にかけているのだ。次には誰もが予想する通りのことが起こる。

私が電話に出る。そしてこう告げるのだ。


「いいえ。違います」


このときできる限り声に無表情な響きをもたせるとやや面白い。
そんな考えがなかったといったら嘘になる。

しかし温度差を楽しんでいられるのも二回目くらいまでである。

「え…でも、社長ですよねっ!?」
「……イイエ」
「だって、この番号は……社長…!」

……だから違うって言ってるじゃないか。

不安になってくるのはこの辺りだ。

どうして皆、こんなにも私をコシカワだというのだろう。

一対一で向き合っている相手が
コシカワ以外の可能性をまるで排除して迫ってくる。これは辛い。

事態はだんだん消耗戦の体をなしはじめ、
相手の熱心な訴えを何度も否定するというのも
なんだか悪いような気さえしてくる。

「コシカワ社長ですよねっ!?」

あまりの切迫ぶりについ譲歩をしそうになる。もう私はこう答えるしかない。

「…はぁ…」


そして同情的に応じるあまり勢いに押され最後のほうは

「ハイ……じゃあもう私、コシカワでいいです」

と言いそうになるのだ。やり取りは難関だった。


また、コシカワ某は社長であるからして、
ときに得意先からの連絡にも対応しなくてはならない。

電話は突然かかってくる。
そのときは中年の会社員らしき男性であった。

この男もまたツワモノで、
通常の間違い電話の応答をものともせずに架電を繰り返す。

あまりのしつこさに根負けししばらく着信を放置していると、
その人物はいよいよ面倒になったらしい。

次に私が電話に出た瞬間、驚くべき行動に移った。

「あっ、T物販の請求書の件ですが……」

単刀直入に用件を述べるではないか。私コシカワじゃないのに。

しかも何に驚愕するといって、
これが本人じゃないのを重々知った先での言動であることだ。

現に声色に若干の「わかったうえでのゴリ押し感」が滲み出ている。

私に……T物販をどうしろと……?

ここに垣間見えるのは紛れもない彼の動機だ。

『一刻も早く、カタをつけたい』、そしておそらく
『カタさえつけば、他のことはどうでもいい』。


それさえ叶えば
間違い電話の相手に決裁されても構わない、
そのくらいの心構えである。

彼の一貫した態度は私をたじろがせ、通話において分が悪いのはこちらであった。


本当に、皆の言うとおり私はコシカワなのかもしれない。

そもそも自分が何者であるかなんて何を持って証明するというのだろう。

人から言われる人物像を拒否し続ける私が狭量なのだろうか。

だんだん申し訳ない気分さえ湧き、ついに私は電話の相手にこう言った。

「すみませんけど、私はコシカワじゃないんです」

何の謝罪であろうか。

生きていてこんな日が来るとは思わなかった。

私が人々から懸命に理解を乞うているのはこういう事実だ。


「私はコシカワではない」。



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